地域活動

政務調査レポート

宮城県東松島町 奥松島公園周辺、宮城県石巻市 石巻青葉中学校(避難所)、福島県相馬市 相馬双葉漁協、相馬市原釜地方卸売市場(平成23年7月6日水曜日~7日木曜日)

視 察 日

平成23年7月6日水曜日~7日木曜日

視察場所

1)宮城県 東松島町 奥松島公園周辺
2)宮城県 石巻市 石巻青葉中学校(避難所)
3)福島県 相馬市 相馬双葉漁協、相馬市原釜地方卸売市場

視察項目

3月11日に発生した東日本大震災の復興支援と現地視察、現地の方からお話を伺うことで、北区の防災対策に反映。

意  見

1)宮城県 東松島町 奥松島公園周辺

―宮城県屈指の観光名所である、松島を視察しホテル「松庵」の女将より当日、その後の震災対策について伺う。
当日は2組の宿泊客がいらっしゃる中での対応、まずお客様の安全確保に注力され、従業員も残れる人はすぐには帰宅せずに宿で避難。お客様も1泊してからの帰宅。宿泊宿であるため、多少の食べ物お水や燃料などはあったものの、地震発生後、ガス5日間、電気9日間、水道21日間も復旧までに時間がかかった為、やはり、食べ物と水に大変困った。
観光地であるので、町役場の方と併せて観光協会の方が地域を何回も回ってこられ事に励まされた、特に女性の職員が回ってくれたことで、生理用品などの足らないものなどについて話しやすく助かった。との事。また、最も必要だったのが「情報」で、電気も切れているので町や地域がどのようになっているのか、避難状況、支援物資についてなどの情報が入らず、大変であった。
また震災後、防災用品で「必要と感じたもの」を購入したり、TVや金庫などの下に滑り止めシートをつける、ガソリンをこまめに満タンにするなど地震へ備えを行う。また、社内・家族とで「決めごと」を話し合った。(別紙参照)
→被災者の方から、直接お話しを伺うことで当時の様子をリアルに感じ、何が必要で何ができるのか。を考えることができました。
特に感じたことは、震災時に大切になるのがやはり「自助」であること。個人、家族単位でできること、備えておくこと、決めておくことを十分にする。
そして近所・地域とのコミュニケーションが必要である。行政の立場からやらなければならないことは、まず「自助・共助」の重要性を区民に啓発していくことであると強く感じました。


2)宮城県 石巻市 石巻青葉中学校(避難所)

―自民党東京都連青年部の協力要請を受け、支援物資(うちわ、殺虫剤、蠅たたき等)を持って伺う。避難者の心情を考慮し、避難場所の体育館には入らず、視察。
体育館に避難者が生活する一方、校舎では通常の授業が行われていた。校庭にはアメリカ軍のシャワー設備が男女別に設置され、自衛隊の方が3交代で管理。受付のところには「癒し」の為とインコ飼われていたのが印象的であった。
→まず、避難所生活で支援物資として必要な物のリクエストに上記の物が上がったことに、驚いた。確かに現場では大きな蠅と異臭を感じ、納得。北区の通常の災害用備蓄用品にこのような対策の物が用意になると感じた。また、避難者からはシャワーが大変喜ばれているとのことで、区内の避難所のお風呂対策についても今後、研究が必要である。また、自衛官が持参したという、癒しのインコもまさに避難所生活を象徴するもので、避難所生活のストレスの高さを感じた。最後に中学校が避難所になる事で、通常の学校生活が制限されていることに課題を感じた。

 

3)福島県 相馬市 相馬双葉漁協、相馬市原釜地方卸売市場

―車窓から現地を視察。海岸沿いはとにかく、建物の基礎を残すのみであとは全て流されている状態。瓦礫の山は高いところで、5m以上もあり…ただただショックと驚きであった。船も陸に上がり、田畑も海水をかぶり、塩害で5年ほどは使えない状態。自衛隊や消防団の方々による、捜索活動、瓦礫撤去作業もされていてその活動に頭が下がる思いでした。
→行政としてできることはあるのか…考えてしまう程、津波の脅威を感じた。しかしながら、この様なM9.0規模の地震が東京で起きた場合、津波ではなく、火災が心配される。この火災対策を区として充分に想定し、計画と備えをすることが必要であると感じた。建物の耐震化、耐火性の向上。避難路の確保と避難所整備。また要援護者への対応など、取り組むべき課題は多い。

今回の視察を通し、先にもあげたが改めて思うことは「自助」の重要性である。気持ち的に私個人も行政を頼るところが強かったことに気付き、区民の方への意識改革も訴える必要があることを実感しました。

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